こんばんは。
うまとみらいと代表の吉成周蔵です。
いよいよ2020年も最後の月を迎え、
その1週目の競馬開催が行われようとしています。
砂の王者を決める
【チャンピオンズC(G1)】
を筆頭に
今週も沢山の注目レースが点在していますが…。
それと同じくらい、
うまとみらいと会員が大きく盛り上がっている
究極のレースがあります。
その名も
殿堂賞(G1)
こちらは、
12月5日(土)17時から公開される殿堂馬の完全体と称される
【最上位殿堂馬】の詳細を語るページ内で発表されたドリームレースで、
現在の総投票数はなんと…
『約107万3千件』
G1レースにも匹敵するほどの盛り上がりをみせるこのレースの行く末に、
今や全うまとみらいと会員が注目しているといっても過言ではありません。
そもそも 殿堂賞(G1)とは何なのか?
殿堂賞(G1)とは現在、
競馬の殿堂が行っているイベントで、
歴代のスターホースが時代を超えて同じレースに出走したら…
どの馬が勝つのか?
を予想する会員参加型の投票イベントです。
現在この殿堂馬(G1)を中心に、
うまとみらいと全体で大きな盛り上がりを見せています!
殿堂賞(G1)は
持ち上がっているのか?
「G1シーズンのお祭り騒ぎにマッチしたイベントだから」
「思い出のスターホースが懐かしくてつい参加したくなったから」
もちろん、
そういったエンターテイメント性に魅力を感じ、
参加されている方も沢山いるのも確かですが、
しかしそれ以上に…。
この殿堂賞(G1)というドリームレースにて、
殿堂馬の完全体【 最上位殿堂馬 】がどのような予想を導き出すのか?
その答えに全うまとみらいと会員が注目している。
という根本の部分が、
今現在うまとみらいと内で起こっている
大反響の理由にあるのではないかと私は思っています。
このように、楽しみ方は人それぞれですが、
そんなうまとみらいと内で最高の盛り上がりを見せる
殿堂賞(G1)の投票は、
12月5日(土)17時まで受付が行われております。
そして本日は
この「殿堂賞(G1)」というドリームレースを
よりあなたに楽しんで頂くために…
「殿堂賞(G1)」の出走メンバー達が、
・『どんな馬なのか』
・『どんな伝説を残しているのか』
その紹介文を
競馬の殿堂の鈴木がまとめてくれているので、
それらを紹介させて頂きます。
【殿堂賞】出走馬コラム
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通称:異次元の逃亡者
生涯成績:16戦9勝
勝利G1:宝塚記念
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母ワキアに種付けした際、
2度の不受胎、他の種馬との予定も合わないという偶然から、
今でこそ大種牡馬だが、
当時そこまで人気の無かった「サンデーサイレンス」を種付けした。
偶然が偶然を読んだまさに奇跡とも呼べる出生。
気性は“やんちゃ”そのもの。
弥生賞でスタート前にゲートをくぐってしまい、
外枠発走になったのはあまりにも有名。
その後ダービーなどにも出走するも、
この馬本来の強さはまだ眠ったままで、
陣営は抑える競馬を捨てて「逃げ」への転向を決意。
その後、何戦かして武豊騎手を鞍上へ迎え、
一息入れる「逃げて差す」というこの馬にとって最強の戦法を確立。
まさに「異次元の逃亡劇」と呼ぶに相応しい伝説の始まりである。
すぐさまOP、G2、G3を大逃げ圧勝という形で4連勝。
そして迎えた「宝塚記念(G1)」、
ステイゴールド、エアグルーヴ、シルクジャスティス、
メジロドーベル、メジロブライトなどを抑え、G1初戴冠。
そして、秋。
あの伝説の毎日王冠で、
NHKマイルカップ優勝馬「エルコンドルパサー」や
朝日杯3歳ステークス優勝馬「グラスワンダー」という若い世代の強敵と激突し、
大逃げという確立されたスタイルで、強敵勢を退け勝利。
「グランプリ・ホースの貫禄!
どこまで行っても逃げてやる!」
とアナウンサーが絶叫するほどの内容だった。
そして・・・。
1998年天皇賞秋の「沈黙の日曜日」と呼ばれる悲劇で
その自らのスピードと共に誰にも捕まえられない所へと
逃げていってしまった「サイレンススズカ」・・・。
G1は1勝とは言え「伝説の名馬」に間違いはない。
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通称:名優
生涯成績:21戦12勝
勝利G1:菊花賞、天皇賞春2回、宝塚記念
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名ステイヤーと言えばどの馬か?
そんな質問の答えに、この馬の名前をあげる人は沢山いるだろう。
それもそのはず、
勝ったG1、4勝の内3勝が3000m以上。
だが、
宝塚記念や1着入線で降着になった天皇賞秋、
そして実質引退レースとなった京都大賞典を見ても、
中距離でもその存在感を存分に発揮していた。
ゲートに並んだ伝説の名馬と中距離を走っても、
「中距離だから」という理由で負ける馬では無い。
そんなメジロマックイーンは、
幼少期は故障や体調不良などで春のクラシック戦線へは出走できず、
満を持して臨んだ「最も強い馬が勝つ」と言われる
クラシック最終戦、菊花賞で同世代の強豪相手に圧勝。
その強さを世間に披露したのである。
明け5歳(旧馬齢)では、
前哨戦阪神大賞典を難なくクリアすると、
その勢いのまま天皇賞春も勝利し父子3代天皇賞制覇を成し遂げる。
秋はやや精彩を欠いたものの、その強さは健在。
1着入線の天皇賞秋(降着18位)を除けば、
ジャパンカップ4着、有馬記念2着と掲示板内は確保。
この年の最優秀以上牡馬に選定されている。
そして翌年の天皇賞春の連覇。
その後故障で1年棒に振ってしまうも、翌年春には復活、
3連覇のかかった天皇賞春で、
「淀の刺客」ライスシャワーに徹底マークされ阻止されながらも、
続く宝塚記念で見事グランプリホースに輝き、
「メジロマックイーンここにあり」と言わんばかりの復活劇を披露した。
休養を挟んで秋の天皇賞へ向け再出発。
実質引退レースになる前哨戦、あの伝説の京都大賞典を圧勝。
あの悪夢の降着から2年の時を経て、
秋盾を奪いに行く最中、左前脚部繋靱帯炎を発症しそのまま引退。
またしても、秋の盾は取れぬまま引退となってしまったが、
この馬の競走馬人生にも似た「強さ」はまさに伝説では無いだろうか?
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通称:府中の鬼
生涯成績:26戦10勝
勝利G1:阪神JF、日本ダービー、安田記念、天皇賞秋、
ヴィクトリアマイル、安田記念、ジャパンカップ
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64年ぶりの牝馬ダービー馬、府中の鬼。
G1、7勝のうち6勝が東京での勝利、
東京競馬場に像が建ってしまうくらいなので、
JRAも認めた「府中の鬼」と言っても過言では無いだろう。
「ミスパーフェクト」と呼ばれるダイワスカーレットと同期。
彼女とは何度も激戦を繰り広げるが、
ダイワスカーレットは常に100点を出し切れるといった印象、
対してウオッカは50点の時も150点の時もあるといった印象。
特にその力は東京で発揮され、
後世に語り継がれる名勝負「2008年天皇賞秋」では大爆発の末脚、
2cmの差でライバルを退けたレースはあまりにも有名だろう。
入厩は「シーザリオ級の馬が来る」と言われ、
クラシックには5つ全部登録されるなど、高い期待が込められていた。
阪神JFを勝ち2歳女王に君臨、
その後桜花賞の前哨戦チューリップ賞ではダイワスカーレットを下すものの、
本番桜花賞ではダイワスカーレットをとらえきれず2着。
その後ダービーに出走し、
クリフジ以来となる64年ぶりの牝馬のダービー制覇を成し遂げる。
その後1年間勝ち星に恵まれなかったものの、安田記念で復活勝利。
その秋に毎日王冠を叩き、今も語り継がれる名勝負「天皇賞秋」で勝利。
その年のジャパンカップや、翌年のドバイ遠征は勝てなかったものの、
ヴィクトリアマイル、安田記念とG1を連勝し、
翌年のジャパンカップ制覇で東京で行われる古馬G1を
全て制覇するという偉業を達成すると共に、
シンボリルドルフ、テイエムオペラオー、ディープインパクトに並ぶ
JRA・GI7勝目という大記録を達成している。
この馬を府中の鬼と呼ばずに、何と呼べば良いだろうか。
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通称:帝王
生涯成績:12戦9勝
勝利G1:皐月賞、日本ダービー、 ジャパンカップ、有馬記念
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言わずと知れた、
皇帝シンボリルドルフの子ども。
父と同様に春のクラシックに無敗で臨むと、
皐月、ダービーを制し無敗のまま2冠達成。
父ルドルフの主戦騎手で、同レース他馬に騎乗していた岡部幸雄は
「3、4回ミスしてくれても敵わなかった」
と述べるほどの強さだった。
ダービー以後、故障などもあり三冠は目指せず終わったものの、
翌年の春に復帰し、産経大阪杯をほぼ追わずに圧勝。
続く本番、天皇賞春では、
最後の直線で抜け出せず、外からの他の馬にもかわされ5着、
その10日後、骨折が判明し、秋まで休養となった。
その秋初戦、天皇賞秋では休み明けのためか上手く調教でガス抜きできず、
レースもかなりのハイペースで引っかかり、直線で力尽き7着に終わるものの、
続くジャパンカップは、
この年に国際GI競走として認定されたこともあり、
イギリス二冠牝馬、現役のイギリスダービー馬が2頭、
前年の豪年度代表馬、アーリントンミリオンの優勝馬等が集まり、
当時「ジャパンカップ史上最強メンバー」と謳われたほど、
世界中の強豪馬が集まる中で、5番人気となった。
そして、レースが始まる。
トウカイテイオーは、レース道中4~5番手をスムーズに追走し、
ラスト1ハロン地点から勝負に出る、外から抜け出し、いよいよゴール前、
ナチュラリズムとの競り合いを制し、見事なる勝利を飾る。
日本馬のジャパンカップ制覇は父シンボリルドルフ以来の3頭目、
トウカイテイオーは、日本競馬史上、最初の国際GI優勝馬となったのだ。
もはやトウカイテイオーの最強説を疑う者は誰もいなかった。
次の有馬記念では、
下剤を服用などもあり、自身最低着順の11着となる。
その後、故障もあり調整が上手くいかず、1年ぶりの競馬となった有馬記念。
このレースこそが、
トウカイテイオーを語る上で外せない「奇跡のレース」である。
出走14頭中、8頭がG1馬という
グランプリレースに相応しいハイレベルな顔ぶれの中に、
1年休養明けの馬が一頭、トウカイテイオーである。
いかに当時の「最強の名」を持つ帝王であったとしても・・・
誰もがそう感じていた。
その証拠に、応援の意味で単勝こそ4番人気だったが、複勝では8番人気。
そして、奇跡のレースが始まる。
トウカイテイオーは、コース2周目の向こう正面まで後方待機、
第3コーナーでじわっと進出し、いざ最後の直線、勝負の時、
この時を待っていたかのようにビワハヤヒデを半馬身かわし、
奇跡の復活、奇跡の勝利を果たす。
「あぜん」とする観衆、「歓声」を叫ぶ観衆、「涙」する観衆、
その中に君臨する姿は、まさに帝王トウカイテイオーであった。
父のG1、7つという数には及ばないものの、
勝ち取ったG1、4つが全て印象的。
まさに帝王らしい走りを我々に見せつけてくれた。
この馬の境遇や走りを見れば見るほど
「天才はいる、悔しいが、、、」そう思わずにはいられない。
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通称:黄金世代のダービー馬
生涯成績:17戦10勝
勝利G1:日本ダービー、天皇賞春、天皇賞秋、
ジャパンカップ
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今でこそ日本ダービー5勝の武豊、
当時「武豊はダービーを獲れない」とまで言われていたが、
その武豊をダービージョッキーにした馬としてあまりにも有名。
その強烈な強さをもってしても、
クラシックはダービーしか取れなかった、
それほどの「黄金世代」に生まれてしまった馬でもある。
クロフネやタキオン、ジャンポケなどの世代や、
マカヒキ、サトノダイヤモンドなどの世代も、
最強世代と呼ばれ、レベルの高さを謳われるが、
セイウンスカイ・キングヘイローのクラシック三強や
エルコンドルパサー・グラスワンダー・アグネスワールドなどの外国産馬、
エアジハード・ウイングアローなど各路線で活躍した
誰もが知っている名馬の多いこの世代は、
まさに「黄金世代」と呼べるだろう。
そんな世代のダービー馬が伝説にならないわけもない。
生まれてから5日後に母馬が亡くなり、
気性がキツかったため人の手をかけて育てられた。
人懐っこい仔馬だったという。
そんなスペシャルウィークだが、
デビューから1着、2着、1着と3戦をこなし弥生賞へ。
そこでクラシックでのライバルになる
セイウンスカイ・キングヘイローを倒し一気にクラシックの主役へ。
クラシック3戦全てが1番人気だったことを見ると、
その当時の期待度が分かる。
そして、ダービーでは直線追い通し、
さらに興奮のあまりステッキを落とすなどもあったものの
5馬身差で圧勝、見るものすべてを魅了した。
その年の秋は京都新聞杯を叩き、
菊花賞2着、ジャパンカップ3着と惜しい結果で、
その能力の高さを示した。
そして明けて春。
AJCC、阪神大賞典から春の大目標、天皇賞春を勝ち、
その強さを誇示し年内引退、そして「凱旋門賞挑戦」というプランが掲げられた。
しかし、天皇賞馬として臨んだ宝塚記念、
同期のグラスワンダーに後方からターゲットにされ、
3馬身半差の2着に終わる。
これで凱旋門賞も白紙へ。
秋初戦も7着と不振に終わる。
そして、陣営は増えた馬体重をダービーの時までに戻すことで、
本来の走りを取り戻せるのではないかと思い、前走から-16kgで臨んだ天皇賞秋、
まさに「逆襲のラン」ともいえる走りで、天皇賞春秋の連覇を果たすと、
続くジャパンカップでもあのエルコンドルパサーを下した凱旋門賞馬モンジューなどの
強豪海外馬を抑え、華麗なる勝利。
そして、宝塚記念の雪辱を晴らすべく臨んだ有馬記念。
ゴール前、後方から一気にグラスワンダーに襲い掛かったスペシャルウィーク、
勝利を確信した武豊はウイニングランを始め、
的場均はグラスワンダーを2着馬のポジションへ...
しかし、掲示板の1着馬の馬番はグラスワンダーの馬番。
わずか4cm届かず、秋古馬三冠を逃してしまった。
宝塚の雪辱を果たせなかった。
華々しいクラシックロードを歩み、
最後の最後まで注目の的だった、黄金世代のダービー馬。
この馬の馬生を知れば知る程
「本当の敵は諦めだ」といつも思わせてくれる。
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通称:世紀末覇王
生涯成績:26戦10勝
勝利G1:阪神JF、日本ダービー、安田記念、天皇賞秋
ヴィクトリアマイル、安田記念、ジャパンカップ
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「年間全勝」
この唯一無二の記録は16年経った今でも破られていない。
そして、秋古馬三冠を達成した2頭のうちの1頭でもある。
当時最強と言われたキタサンブラックでさえ、
春は宝塚記念9着、秋はジャパンカップ3着と、
「取りこぼし」をするほどなので、これがどれ程の記録か想像に容易いだろう。
中央競馬におけるGI最多勝タイ(7勝)
アロゲートに破られるものの、
昨年までの「獲得賞金の世界記録」を保持していた程である。
まさに記録だらけの馬である。
後のオーナー竹園は牧場でこの馬を見た際に、
「光り輝いて見えた」というぐらい、一目で惚れ込み、購入を決意。
ただ他の人から見るとそれほどではなかった様で、
競る人もおらず1000万円で購入された。
骨折など上手く調整できてない部分もあり3戦目でやっと未勝利脱出。
その後は、ゆきやなぎ賞、毎日杯(G3)を連勝したが、
クラシックへの第一次登録がなかったため、
追加登録料200万円を支払って皐月賞に出走登録する事となった。
この時初めて、追加登録料を支払ってクラシックに出走し、勝利を収めた馬となった。
その後ダービーや菊花賞、ステイヤーズS等を走るも勝ち切れず、
有馬記念も3着だったが、この時の1、2着馬は上でも話した
グラスワンダーとスペシャルウィーク。
その2頭とタイム差なしの3着で本格化の兆しをみせた。
そして、2000年・・・伝説が始まる。
重賞8連勝(うちG1 5連勝)
秋古馬三冠、古馬中長距離GIにすべて勝利。
数々の記録を打ち立てた。
これだけ強い馬だっただけに、
マークやラフプレーも受けながらのこの記録。
まさに「年間全勝というレジェンド(伝説)」である。
明けて臨んだ大阪杯は4着ながらも、
前年の天皇賞春秋制覇とその年の天皇賞春の制覇で、
天皇賞三連覇を達成した。
その後は年齢のせいか、
ズブさを見せ不振、引退となってしまったものの、
この馬の打ち立てた記録と伝説はそう易々と塗り替えられるものではない。
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通称:音速の貴公子
生涯成績:4戦4勝
勝利G1:皐月賞
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4戦4勝で皐月賞を制し、故障によって引退。
これだけでも確かにすごいし、
むしろそれだけで伝説になってしまうのもすごいが、
この馬を語る上で欠かせないのが倒した相手という所だろう。
アグネスタキオンが倒したのは名前を聞くだけでそうそうたるメンバー。
同年の3歳G1の
“NHKマイルC”の覇者「クロフネ(他のG1勝ち鞍:ジャパンCダート)」
“日本ダービー”の覇者「ジャングルポケット(他のG1勝ち鞍:ジャパンC)」
“菊花賞”の覇者「マンハッタンカフェ(他のG1勝ち鞍:有馬記念、天皇賞春)」
“宝塚記念”を古馬になってから制した「ダンツフレーム」など、
ほとんど子ども扱いして「圧勝」を遂げた。
何頭か「幻の三冠馬」と言われる馬はいるが、
日本ダービーのテレビ中継では、ある解説者から
「ジャングルポケットがゴールした瞬間に、
2馬身先にアグネスタキオンが走っている姿が見えた」
と言わしめたほど、、、そんな馬そうはいないだろう。
加えて、
全兄アグネスフライトはダービー、
母アグネスフローラは桜花賞、
祖母アグネスレディーはオークスと、
3歳クラシックにとてつもなく期待できる血統。
それでいて管理調教師の長浜は
「兄と比べ競馬内容がいい」とタキオンの走りを高く評価していた。
それだけに4戦しかこの馬の走りを見れなかったというのは残念極まりない。
「超光速の粒子」の名の通り
とてつもないスピードでターフを駆け抜けていった。
「無事是名馬」ともいわれるが、
「“三冠”すら予感させた光速の走り」は
伝説に違いないだろう。
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通称:葦毛の怪物
生涯成績:32戦22勝
勝利G1:有馬記念2回、マイルCS、安田記念
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第二次競馬ブームの立役者。
元々、笠松所属だった当馬は、
その笠松で12戦で10勝12連対という戦績で期待されて中央へ移籍。
瀬戸口元調教師の基で管理された。
オグリキャップは移籍後、重賞2連勝(ペガサスS、毎日杯)し
賞金こそ足りていたものの、クラシック登録をしていなかったため、
1988年の中央競馬クラシック三冠競走には出走できなかった。
しかし、毎日杯で下した相手が皐月賞を取った事により、
登録が無くクラシック三冠競走に出れないという悪夢を惜しむ声は多く、
1992年に追加登録制度が設けられた。
昨日もお伝えした通り
テイエムオペラオーはこの制度により皐月賞を制している。
オグリキャップの連勝記録は伸び、春、重賞5連勝。
その後、夏はレースを使わず毎日王冠も制し重賞6連勝とした。
そして迎えた秋本番。
ここで同じ葦毛のライバル“タマモクロス”と激突。
当時、7連勝(内G1、2勝)のライバルを抑え1番人気に支持されたが、
先行したタマモクロスを捉えられず2着に終わった。
陣営は雪辱を晴らすため、
タマモクロスが出るジャパンカップへ出走したが、惜しくも3着に終わる。
この時の騎乗に不満をもち、ごたごたがあったようだが、それはまた別の機会に。
実は天皇賞後、麻雀仲間でもあったタマモクロスの調教助手の井高は、
オグリキャップの調教助手の辻本に対し、
「こんなもんを食わせていたんじゃ、オグリはずっとタマモに勝てへんで」
と声をかけたという。
これにより競走馬には無駄な成分も入っていた配合を取り止めた。
そんな一幕もあり迎えた有馬記念、
オグリキャップは、ライバルのタマモクロスに雪辱を晴らす形でG1初制覇。
同年のJRA賞最優秀4歳牡馬にも選出された。
明け旧5歳春は故障で出走できなかったものの、休み明けのオールカマーを快勝。
ここから4か月で重賞6戦という過酷なローテーションが始まった。
次走の毎日王冠でのイナリワンとの激しい競り合い、そしてハナ差の決着は
「オグリキャップのベストバトル」とされているレースで、
これにより史上初の毎日王冠連覇を達成した。
続く天皇賞秋では直線の進路が無く追い出しが遅れ、
先に抜け出したスーパークリークを捉えきれず2着。
鞍上の南井は「勝てたのに負けたレース」と述べている。
そして次走マイルCSでは、
同じような状況に陥るも強烈な末脚でハナ差、差し切り、
G1、2勝目。
連闘で臨んだ翌週のジャパンカップでは、
当時の芝2400mの世界レコード2.22.2で走破したものの、
タイム差なし、クビ差でホーリックスに敗れ2着。
そして、続く有馬記念。
仕草からも連戦の疲労がうかがえ、5着に終わる。
一時はこの年で引退するという報道まであったものの、翌年も現役を続行。
これは日本中央競馬会からの働きかけがあったとも言われている。
春、初戦には大阪杯が予定されていたが、
故障はないものの調子は良くなく、
安田記念に変更されたが2馬身の差をつけて勝利。
続く宝塚記念ではオサイチジョージを捉えきれず2着惜敗。
レース後故障発生。
その後天皇賞を目指すも、
調整段階で次々と故障...「天皇賞回避濃厚」と見られていたが出走を強行し、
天皇賞6着、ジャパンカップ11着の結果に終わる。
世間からは「オグリは終わった」との声が多く、
ジャパンカップの成績を受けて、そのまま引退すべきとの声も多かった。
天皇賞秋の臨戦過程において、
この時期アイドルホースのオグリキャップは、
文字通り24時間報道陣から撮り続けられていた。
馬房の奥にいても、
ニンジンや草をちらつかせてオグリを誘い出していた程である。
そのせいでぱったりとカイバを食べなくなったという。
その後改善はしたもののジャパンカップまでそのストレスを引きずってしまう。
そして、ラストランの有馬記念へ。
4角4頭外で回ってきたオグリキャップは直線グイッグイッと伸び、
先頭でゴールし「奇跡の復活」を遂げる。
かなりのスローペースで進んだレース。
豊富なキャリアで折り合いをつけられたこと等、
全てがオグリに味方した、そんな勝利だった。
「神はいる、そう思った」
これほどのアイドルホースはそう出てこない。
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通称:怪鳥
生涯成績:11戦8勝
勝利G1:NHKマイルC、ジャパンカップ、
サンクルー大賞
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G1、3勝ながら、
この馬と言えば、2着だった「凱旋門賞」では無いだろうか。
あのモンジューとの叩き合いは、
「チャンピオンが2頭いた」と現地のメディアに言わせたほどの走りで、
その力をアピール。
この年、日本で1走もしていないにもかかわらず、
JRA年度代表馬と最優秀5歳以上牡馬に選ばれた。
この馬はどんな馬だったのか?
デビュー時はまだ身体ができあがっておらず、
芝でのスピード比べは時期尚早ということで、ダートでのデビュー。
デビューから2戦はダート出走。
まだ身体もできていなければ、ゲート練習を十分に積めてもおらず、出遅れ、
だが、そんなものお構いなしの、圧勝。
続く共同通信杯4歳Sでは、
芝適性を試すために出そうとするも、
降雪によりダート施行へと変更され、
ここでも2馬身ちぎって快勝。
次走、初芝となったNZT(G2)では、
芝と1400mという距離からの速いペースに対応できるか懸念されたが、
芝に少し戸惑ったのか多少出負けするも、すぐに先団に取りつき、後は2馬身差で快勝。
難なく前哨戦をパスし、NHKマイルCへ。
※この頃はまだクラシックへの外国産馬の出走が認められておらず、
三冠競走への出走は出来なかった。
そして、NHKマイルCでは当馬を含む3頭が無敗のままG1獲りを目指して出走、
外々膨れるという危うい面も見せたものの、ここでも難なく圧勝。
5連勝ですんなりG1を獲ってしまった。
その後、サイレンススズカの時にも話した「伝説の毎日王冠」。
2着ではあったものの初古馬戦、そして前哨戦ということもあり、
陣営としては良い内容の競馬ができ落胆をしていなかった。
そして臨んだ秋本番のジャパンカップ。
同期ダービー馬スペシャルウィークや
前年2着で2年前のオークス馬エアグルーヴなどの
「激戦のライバルたち」を敵に回してのレースとなったが、、、
あっさりと2馬身半差をつけ圧勝、
当然の如くの「強さ」を見せつけた。
日本最高のレースで圧倒的な強さを見せつけ、
唯一、自分を負かした馬は天の上へ、、、次に目指すはもちろん海外、
夢の続きはフランスへ
現地で調教を開始した直後は、
日本よりはるかに丈の長い芝に対応できず、
軽い調教でも疲れた様子を見せ、
雨の日などはメチャクチャなフォームで走っていたようだ。
しかし、その合わない芝での調教によって、
馬場に対応できる走法に変化し、筋肉の付き方も変わってきたという。
フランスでの初戦、イスパーン賞(G1)では、
直線で一旦先頭に立つも、久々という事もあり息持ちがしなかった印象で、
外から差し切られ2着に敗れる。
そしてこのレース後、
エルコンドルパサーの状態は急速に上向いていった。
サンクルー競馬場の芝丈の長さ、起伏の激しさ、そして61キロという斤量から、
それでも鞍上の蛯名は不安を拭いきれず、、、
しかも相手は大幅に強化され、
前年の仏ダービー、愛ダービーを制したドリームウェル、
前年の凱旋門賞優勝馬サガミックス、
ドイツの年度代表馬タイガーヒル、
ドイチェスダービー優勝馬でBCターフ2着のボルジア
といった全欧の一線級が揃ったサンクルー大賞(G1)。
そんな不安を他所に、
エルコンドルパサーは2馬身半の差をつけて、勝利。
海外G1も獲得してしまう。
この時、馬の力を信じ切れなかった自分を恥じ、
蛯名は競走後に涙をみせた。
v しかし、このレースの競走中2つの外傷を負い、
そこから菌が入りフレグモーネになってしまう。
一般的にはすぐ直るが、この時は完治に1ヶ月を要してしまい、
予定していた調教も半月ほど遅れてしまうトラブルもありながら、
凱旋門賞の前哨戦フォア賞へ。
前哨戦とはいえ、レースはわずか3頭立て、
相手はイスパーン賞で負けたクロコルージュと、
サンクルー大賞で対戦したボルジアであったが、
ここをクビ差で勝ち切り、日本競馬の夢を乗せて最高の形でいざ本番、凱旋門賞へ。
前日の雨は上がったものの、柔らかい馬場で力のいる競馬。
エルコンドルパサーは調子が良かったんだろう。
スタート直後、ポーンと飛び出し先頭へ、
馬が気持ちよく走れるペースで逃げ、直線入口で2馬身ほど差をつけたまま先頭。
その後、残り100mでモンジューに並ばれ、
前に出られたところを差し返しにかかる、
しかし・・・半馬身及ばず2着。
レース後、現地メディアに、
「チャンピオンが2頭いた」と言わしめた。
勝ち馬モンジューを管理していたジョン・ハモンドも後に
「おそらく硬い馬場だったら敵わなかったと思う。
あれだけモンジューにとって好条件が揃ったのに、
2頭の勝ち馬がいたも同然の結果だったのだから。」
と語ったという。
いまだに獲れない凱旋門賞、
しかし、その凱旋門賞でこれだけの走りをした馬が、伝説にならないはずはない。
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通称:皇帝
生涯成績:16戦13勝
勝利G1:皐月賞、日本ダービー、菊花賞、
有馬記念 2回、天皇賞春、ジャパンカップ
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「七冠馬」「無敗の三冠馬」「ダービー馬に勝った唯一のダービー馬」
などと呼ばれもてはやされたが、
やはりこの馬には神聖ローマ帝国の皇帝ルドルフ1世由来の
「皇帝」
の名がしっくりくるだろう、この2文字が彼の栄光を一番表している。
元気すぎて、デビュー時期が早まり、当初予定していた騎手でなく、
夏、新潟を主戦場にしていた岡部幸雄が乗る事となる。
当時、期待の大きい馬が夏にデビューする場合、
北海道で行うレースに出すことが多かった事を考えると、
実はそんなに高い期待を掛けられていなかったのでは?
という説まである。
ただ、その説には疑いを持たずにはいられない。
なぜなら、新馬戦、いちょう特別を連勝し強さをアピールしたものの、
朝日杯3歳S(今の朝日杯FS)には出さず、東京のOPレースに出した理由に、
「同日に開催されたジャパンカップに来場する海外の競馬関係者に対し、
日本にもこんな凄い馬がいる事を見せてやろう」
というオーナーの意向があったからに他ならない。
3歳時に3連勝し4歳へ
皐月賞の前哨戦「弥生賞」に出走した際、
当時G3を含む4戦4勝のビゼンニシキの主戦騎手でもあった岡部に
決断を迫られる時が来た。しかし当の本人は、
「選択するとか迷うとか、そういう次元じゃなかった。
問題なくシンボリルドルフ。」と言って即決している。
シンボリルドルフとビゼンニシキの2強対決と見られたこのレース、
結果は、1馬身3/4差でシンボリルドルフの完勝。
岡部は「この日はビゼンニシキに格の違いを見せつけるレースをした」と語っていた。
そんな無敗の状態で、クラシック一冠目「皐月賞」へ、
ここでもシンボリルドルフとビゼンニシキの2強対決というオッズ、
直線で2頭の叩き合いになるも結局2着のビゼンニシキに1馬身1/4差をつけ、
レースレコードでシンボリルドルフが完勝し、まず一冠目を獲得。
表彰式の際、三冠を意識して岡部が一冠を示す
1本指を指し示すパフォーマンスをしていた。
続く日本ダービーでは1.3倍の圧倒的一番人気で始まったが、
向正面で出した岡部のゴーサインに全く反応せず場内は騒然とするシーンも。
しかし、直線に向くと自らハミを取って前に行く馬を捉え、無敗のまま2冠を獲得。
この時岡部は「ルドルフに競馬を教えてもらった」と語っている。
しかし、夏、故障発生。
もともと海外遠征のプランもあったが、それも白紙。
夏の療養と休養のお陰で、ケガの完治とリフレッシュができ、
クラシック最後の一冠菊花賞の前哨戦「セントライト記念」をレコードタイム勝ち、
菊本番を勝利し三冠達成。
日本競馬史上初の無配の三冠馬が誕生した。
そして、中1週でジャパンカップへ
初古馬戦、中一週という強行策、
下痢をするなど大きく体調を崩していたこともあり、
初の敗北を喫すが、それでも3着。
初の敗戦後向かった有馬記念では、
ジャパンカップで負けたカツラギエースを徹底マークし、
直線計ったように差し切り、レコード勝ちを果たす。
岡部は4冠を示す4本指を表彰式で披露、
この勝利で7戦6勝3着1回の年度代表馬になった。
そして明け5歳。
古馬となったルドルフは天皇賞春の前哨戦日経賞を圧勝し、
迎える本番、3度目となる三冠馬同士の対決でまたも勝利し、
力の違いを見せつけながら五冠馬の栄光を果たした。
次走予定の宝塚記念では、
前日に跛行が見つかり回避。
その故障の治りが悪く、一時は引退騒動にまで発展したが、
イチかバチかの笹針治療が功を奏し、体調が回復。
本調子ではなかった天皇賞秋は2着という、秋発進で、
その雪辱を晴らすかのように、ジャパンカップ、有馬記念を快勝し、
ここに七冠馬が誕生したのである。
明け6歳では何度か計画があった海外遠征が行われたが、
コース形状も災いし、故障してしまいそのまま引退。
皇帝に似つかわしくない引退となってしまったが、
調教師に
「競馬に絶対はないが”その馬”には絶対がある。」
とまで言わしめた皇帝ルドルフ。
永遠なる皇帝は日本競馬史に今も燦然と輝いている。
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通称:シャドーロールの怪物
生涯成績:21戦12勝
勝利G1 :朝日杯3歳S、皐月賞、日本ダービー、
菊花賞、有馬記念
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皐月3馬身、
ダービー5馬身、
そして菊「7馬身差の衝撃」
「群れに答えなどない」
そういわんばかりの走りで魅了した
シャドーロールの怪物「ナリタブライアン」は、
誕生後しばらくはこれといって目立つ馬ではなかったと言われている。
調教をしていくにつれ運動能力は頭角をあらわしていくが、
もともと水たまりに驚いて騎乗者を振り落とすなど臆病な気性だった。
それが如実に戦績にも表れていて、
何もつけずに出走していた5戦では戦績も不安定だったが、
シャドーロール(下方の視界を遮るために使用する矯正用の馬具)
をつけ始めた6戦目の京都3歳Sから圧倒的な強さを見せつけた。
この京都3歳S以降のレースでは、
大川慶次郎が「精神力のサラブレッド」と評するほどの
優れた集中力を発揮するようになった。
そして、そのトレードマークともなるシャドーロールをつけて臨んだ2戦目、
朝日杯3歳Sでは3馬身半ぶっちぎりで完勝。
そして、明け4歳でも、
共同通信杯4歳S、スプリングSを圧倒的な差で勝ち、
クラシックの主役に躍り出たのである。
皐月賞では圧倒的な1番人気に支持され、
ハイペースで進んだレースで前目に付け、ゴール前200mの地点から抜け出すと、
中山2000mのコースレコードを0.5秒も縮め皐月賞を制した。
続くダービーでは長い直線のある東京競馬場で、
第3、第4コーナー中間からマクリ気味に上がって何頭も外を回したにも関わらず、
出走馬の中で最も速い上がりを繰り出して制した。
このレース後、シンボリルドルフの調教師野平が
「これからいろいろあるだろうが、現時点ではブライアンが上かな」
と言う程の強さだった。
そして夏、避暑のために北海道で調整を行うも、
菊花賞出走が危ういほど体調を崩してしまい、調整が遅れ強い調教も出来ず、
前哨戦、京都新聞杯は単勝支持率77.8%、単勝オッズ1.0倍ながら、
2着に終わる。
ただ、体調面も回復し万全の状態で臨んだ菊花賞は7馬身差ぶっちぎり。
稍重だったにも関わらず、前年、兄ビワハヤヒデが打ち出したレースレコードを
0.1秒塗り替えて三冠を達成した。
「弟は大丈夫だ!弟は大丈夫だ!弟は大丈夫だ!
10年ぶり、10年ぶりの三冠馬!ナリタブライアン!」
という実況はあまりに有名。
ここに史上5頭目となる三冠馬が誕生した。
そして4歳の総大将として臨んだ有馬記念。
ややかかり気味でレースは進むが、
4角先頭に立つとそのまま3馬身突き放して圧勝。
この年、7戦6勝7連対で年度代表馬、最優秀4歳牡馬に輝いた。
(この時、年度代表馬選考で投票総数172票のうち171票を獲得、
惜しくも満票は逃す。)v
明けて5歳休み明けは、
ゆったりしたペースの中で走らせたいという意向で、春は阪神大賞典からのスタート。
この年は阪神大震災の影響で京都で行われた同レースを、
生涯最速の上がり(3ハロン33.9秒)を繰り出し、
直線で抜け出したまま独走でのゴールを見せつける。
しかし、このレースの後、
右股関節炎を発症しこの年の春を棒に振る。
その後、秋古馬三冠に臨むも、
往年の強さは見る事はできなかった。
翌年は前年圧勝した阪神大賞典からスタート。
このマヤノトップガンとの壮絶な戦いは、
日本競馬史上の名勝負のひとつに挙げられる。
このレースで1年ぶりとなる勝利を挙げ、
復活が印象付けられたナリタブライアンは、続く天皇賞春に出走するも、
折り合いを欠いた面を見せ2着に終わる。
その後の目標を宝塚記念とし、
その前に一度使っておきたいという理由で、
スプリント戦のGI・高松宮杯に出走。
中距離実績馬が短距離に出走する事はとても異例で、
色々な憶測が飛び交い、否定的な意見も出されていた。
レースは終い追い上げるも、
スプリントの流れには対応できず4着となってしまう。
そしてこのレースの1ヵ月後に屈腱炎を発症しそのまま引退。
勝負の世界にタラレバはご法度だが、
これほどまでに「もし故障(特に股関節の)がなければ・・・」と
思わせる馬はそうはいない。
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通称:最強の大王
生涯成績:8戦7勝
勝利G1:NHKマイルC、日本ダービー
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「キングカメハメハ」
種牡馬として新聞や出馬表でよく見る名前だが、
意外とその現役時代を知られていない事に驚く。
この最強の大王の現役時代の走りを覗いてみよう。
2歳時は新馬戦、エリカ賞とデビュー以来2戦2勝。
明けて3歳では、
中山で行われた京成杯(G3)で人生唯一の負けを喫する。
その後、すみれS(OP)、毎日杯(G3)を連勝し、
3歳春のG1シーズンが始まる。
クラシックの皐月の行われる中山での負けもあり、
広々としたコースでのほうが走りも向くという事で、
クラシック1戦目の皐月賞は回避、
東京で行われる「NHKマイルC」へ出走。
良の発表ながら当日ダートでレコードが出たあたりを見ると、
かなり水を含んだ馬場だったに違いない。
割とハイペースで進んだレースの、中団やや後ろを楽に追走、
直線を向いて坂の上りきってからハジけ、5馬身差の圧勝。
これまでの1と3/4馬身を上回るレース史上最大着差、レースレコードでの勝利。
圧倒的という印象を残し「変則2冠」への期待が高まった。
(調教師の松田国英がこだわり続け、
厩舎の先輩であるクロフネ、タニノギムレットでも成し遂げられなかった)
そして、続くダービーはカラカラの良馬場。
レースはマイネルマクロスが後続を引き離し、
1000m通過が57秒6というハイペース。
第4コーナーで先団が逃げ馬を捕らえにかかるが、
直線の坂でその先団の足も止まる。
道中を中団で進んできたキングカメハメハが早め先頭に立つと、
そのまま押し切りレースレコードを2秒も更新し、ダービー制覇。
変則2冠達成の瞬間である。
ただ、このダービーは高速馬場が効いたのか、
脚元を故障する馬が多く、巷では「死のダービー」と言われる事もある。
秋初戦は神戸新聞杯を叩いて天皇賞秋へ進むプランが立てられ、
休み明けの神戸新聞杯を勝利。
しかし、目指した天皇賞秋の2週前に故障を発生し、そのまま引退した。
主戦騎手の安藤勝己騎手が
「誰が乗っても勝てるほどの馬」と言ってしまうほどの馬。
キングカメハメハ、最強の大王に違いない。
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通称:鬼の末脚
生涯成績:15戦8勝
勝利G1:皐月賞、日本ダービー、
菊花賞、天皇賞秋
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ミスターシービーと言えば、
トウショウボーイの仔、いわば「天馬二世」である。
基本的にミスターシービーに通り名はあまり聞かない。
「天馬二世」と勝手につけても良かったのだが、
ミスターシービーといえば「追い込み」でとにかく有名。
やはりあの人を魅了する、愛された「鬼の末脚」とつけたくなった。
また、クラシック三冠が
まだG1ではなかった最後の世代に生まれた三冠馬。
勝利G1に三冠レースを入れているのは
この馬への敬意の表れである事は伝えておこう。
一つ下の世代に無敗の三冠馬ルドルフがいて、
3度直接対決するも勝てず終いだったため、
「ミスターシービーの世代は弱かっただけ」
「ミスターシービーの三冠には全く意味が無い」
などという心無い事を言う人間がいるが、
そんなはずはない。
調整ミスがあったにせよルドルフが国内で2度の敗戦を喫しているのは、
ミスターシービーの世代のカツラギエース、ギャロップダイナ。
そんなに弱い世代だったと言い切れるだけの根拠はないからである。
また、ミスターシービー自体、
スピードと末脚で競馬をする馬だっただけに、
適性距離は2000mぐらいと言われており、
その距離でルドルフと戦った事は一度もない。
そう考えるとルドルフより劣っているなどと
口が裂けても言ってはいけないだろう。
そんなミスターシービーだが、
実はこの馬...生まれてこなかったはずの馬だった。
詳しくは割愛するものの、
父トウショウボーイと、母シービークインの交配は当時規則違反だった。
それをある裏ワザを使って種付けして生まれてきたのが、
このミスターシービーだった。
そんな、ミスターシービーだが、
知ってる人も多いだろうが馬名的な部分では二代目なのである。
その名前の由来は、
生産者である千明牧場 (Chigira Bokujou) を代表する馬で
「Mr.C.B.」とつけられ、大きな期待が込められていた。
デビュー戦を先行し、5馬身差で難なくクリアしたミスターシービーだったが、
続く2戦目では出遅れて先団に取りつきクビ差辛勝。
そして、3戦目、発馬機の中で大暴れ、大出遅れ、
後方待機のまま最後の直線で追い込み2着と初の敗北を喫するも、
このレースの後、鞍上の吉永は妻に
「あいつのことが分かった気がするんだ」
と機嫌良く語ったという。
明け4歳で共同通信杯4歳S、弥生賞を連勝すると、
クラシック1冠目「皐月賞」に挑戦。
当日の天気は雨、後ろの馬には不利な不良馬場となったが、
向正面から先行馬を捉えに上がっていき、
最終コーナーでは先頭を行っていたカツラギエースの直後に付け、
直線では早目先頭で押切りクラシック最初の一冠を獲得。
続く二冠目の日本ダービーでは、
トレードマークともなっていたハミ吊りが切れ、不吉な出走となる。
いつも通り後方で競馬をするも、
直線で他の馬が外に斜行してきたのを回避した際、その外にいた馬に衝突した上、
後方から進出してきた馬の進路を横切る形となり審議が行われた。
この結果、ミスターシービーの優勝に変更はなかったが、
吉永には開催4日間の騎乗停止と、トロフィー剥奪という処分が下された。
夏は放牧ではなく美浦での休養となったが、
蹄を痛め、夏の暑さと痛みのストレスから夏風邪をひき、
前哨戦の予定を変更し、京都新聞杯に臨んだ。
調整や調教が上手くいかないままの出走となり勝ち馬から7馬身差の4着。
菊本番も危ぶまれた。
またスタミナ豊富とは言えず、
現役時代この競争に敗れていた父の印象から、
距離不安もささやかれていた。
そんな中でスタートが切られ、
速めのペースで進むレースの最後方にいた。
当時「淀の坂はゆっくり上って、ゆっくり下れ」という格言があったが、
最終コーナーの下り坂を、加速しながら先頭に立つと、
「タブーは人が作るものに過ぎない」と言わんばかりの走りで
大きなリードを保ったまま快勝。
シンザン以来、史上3頭目の中央競馬クラシック三冠を達成した。
父内国産馬が三冠馬となったのは、日本競馬史上初めてのことである。
後に吉永は、
「ぼつぼつ行くつもりだったんだけど、
シービーが全速力で行っちゃった。
僕はただ捕まってるだけでしたよ」と語っている。
競走後も好調を維持していたが、ミスターシービーはまだまだこれからの馬、
ここで休ませて明けから走らせる、という事でジャパンカップや有馬記念を回避。
これには競馬関係者が失望していた。
その有馬記念では菊花賞でシービーの4着だったリードホーユーが勝ち、
同じく同期のテュデナムキングが2着となり、シービー世代の評価が高まった。
明け5歳では天候や蹄の状態の悪化等があり春全休。
秋初戦、毎日王冠から始動したシービーだったが2着に終わる。
ただ、この時に見せた末脚は驚異的なもので、
続く天皇賞秋は1番人気に推されコースレコードで快勝。
シンザン以降続いた天皇賞秋の「1番人気連敗記録」を19で止めた。
続く、ジャパンカップや有馬記念では、
展開が向かなかったことや、前が開かなかったこともあり敗戦。
明けて挑んだ大阪杯や天皇賞も斤量差や作戦ミスで勝てず、
その後、脚部不安を生じて休養、夏調教を再開したものの、
直後に再度故障を発症し惜しまれながら引退。
不器用さやそれを跳ね返す力で、
「俺たちの三冠馬」と愛されたミスターシービー、
この馬もまた伝説の馬であろう。
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通称:日本競馬界の至宝
生涯成績:14戦12勝
勝利G1:皐月賞、日本ダービー、菊花賞、
天皇賞春、宝塚記念、ジャパンカップ、
有馬記念
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「飛んだ!」
数々の名馬に乗る天才武豊がこう漏らしたのだから、
その一言だけでこの馬の強さが分かる。
幼駒時代は馬体も薄く7000万で落札され、
その競りにかかっていたサンデーサイレンス産駒、
14頭の中で9番目の落札価格だった。
ただ、小さい頃は薄い蹄を擦り減らして
血だらけになりながらも走るのをやめなかった、と言われている。
新馬戦前の調教でも、
とんでもないスピードと体力を見せつけ、周りを驚かせていた。
身体、特に前股関節が柔らかく、
あの伸びはそこから来ているのだろう。
そんなディープインパクトのデビュー戦は、
芝2000mで上がり3ハロン33秒4の脚を使うほど強烈なもので、
鞍上は「派手にやってしまった」と消耗を心配したが、
まるで疲労した様子もなくレース後すぐに息が戻っていた様子を見て、
「クラシックでも戦える」と思ったという。
続く若駒Sでは、道中、先頭と20馬身ほどの差が開いていたものの、
ノーステッキで圧勝。
明け3歳、皐月賞の前哨戦、弥生賞では、
ハイセイコーを超える当競走史上最高の単勝支持率71.5パーセントを記録した。
クビ差ではあったもののここもノーステッキで勝ち。
これでクラシックの最有力候補に踊り出た。
そうして迎えた皐月賞。
レース開始直後にいきなりつまづき落馬寸前まで体勢を崩し、
他の馬から4馬身ほど離れた最後方からの競馬となった。
それでも4角で気を抜く素振りを感じた武豊が、
ここで初めて鞭を入れると他を子ども扱いするほどの伸びで完勝。
まだ一冠目の皐月賞を制した段階で、
「武豊、三冠馬との巡り合い」と実況アナウンサーに言わせてしまう程であった。
武豊はレース後のインタビューで、
「いや、もうパーフェクトですよ、ホントにね。
走っていると言うより飛んでいる感じなんでね。」
と言っている。
続くダービーも5馬身差圧勝。
勝利騎手インタビューで、
「感動しています。この馬の強さに…」と言い、
記念撮影で二冠をアピールした武豊は、
スポーツニッポンの手記でディープインパクトの事を
「英雄」というニックネームで呼ぶことを自ら提案した。
夏は放牧に出さず、札幌競馬場で調整し、
行きたがる気性を治すための調教もした。
秋初戦、神戸新聞杯もレースレコードで完勝。
そして、菊本番。
かなりかかるしぐさを見せたものの、
最後はきちんと脚を使い、無敗で三冠達成。
ゴール前、実況で、
「世界のホースマンよ見てくれ! これが! 日本近代競馬の結晶だ!」v と言われる程。
菊花賞後、初古馬戦となる有馬記念では、
いつものように後方から進めるも、ハーツクライに半馬身及ばず2着に惜敗、
国内での唯一の敗戦となる。
明けて4歳、金子オーナーはJRA賞授賞式で海外遠征の意向を示した。
そして古馬としての初戦、
阪神大賞典を稍重の中で圧勝し、
天皇賞春へと進んでいく。
天皇賞では完全なる出遅れで後方2番手からのスタートとなるが、
淀の下りを利用して4角先頭に立つとそのまま・・・。
4角先頭で出走馬中最速となる上がり3ハロン33秒5の脚を使われては、
他の馬は手も足も出るはずがない。
「敗北など考えられない戦いに 人はどこまでも夢をみた」
まさにそんな走りだった。
この天皇賞春の勝利で、
世界統一ランキング、芝・超長距離部門の世界ランク1位となった。
その翌日、池江調教師から凱旋門賞出走プランが発表され、
その前哨戦として宝塚記念に出走。
4馬身差圧勝で5冠馬に。
そしてこの勝利で芝長距離部門で日本調教馬で初めて世界1位となった。
そして、夢を乗せてフランスへ
結果的に「禁止薬物検出事件」で失格となってしまう当レースだが、
それでも入線は3着。
芝、海外馬の強さ、他厩舎の作戦など
海外での競馬に負けてしまったような印象で終わってしまったが、
武豊は
「絶対世界一強い馬」「(凱旋門賞で)負けた夢を何度も見る」
「もう一度やれば絶対に勝てる」と珍しく感情的な様子で、
悔しさとディープインパクトの強さを表現している。
そして、帰国後のジャパンカップ。
昨年敗北を喫したハーツクライとの再戦、
(ハーツクライ陣営は喉鳴りを発表、10着に終わっている。)
海外馬は2頭しか出ない上に、11頭立ての少頭数レースだったが、
日本復帰戦を難なく快勝する。
続く引退レースとなった有馬記念では、最後は手綱を抑えての勝利、
他の馬が全速力で走っているのに、ディープだけジョギングをしている程度での圧勝。
最後まで圧倒的な強さを見せつけての引退となった。
これで、シンボリルドルフ、テイエムオペラオーと並び、G1、7勝。
武豊騎手と金子オーナーの2本指が加わって七冠を表す7本指ができた。
2019年7月30日(火曜日)17歳の夏、
頚椎骨折により、その偉大な生涯の幕を閉じた。
「奇跡に最も近い馬」ディープインパクト。
子どもに託された夢の続きは、まだ終わらない。
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通称:女帝
生涯成績:19戦9勝
勝利G1:オークス、天皇賞秋
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生まれた次の日に
「男ならダービー馬だな…」
と言われるほど何かを感じさせた馬だったようだ。
幼駒時代の調教でもずば抜けた身体能力で一躍話題の馬となる。
新馬戦はクビ差届かず2着だったものの、
2戦目は5馬身差で勝利で未勝利を脱出。
続く、いちょうSでは、
直線で進路を失い武豊が立ち上がる程の不利を受けながら勝利。
明けて4歳、春初戦のチューリップ賞では、
5馬身差の圧勝で桜花賞の主役へ。
桜花賞は熱発のため回避。
熱発休養明けで臨んだオークス。
不利を受け、外を通らなければいけないロスがありながら、
桜花賞馬ファイトガリバーを抑え勝利した。
額の流星は宿命か?母・ダイナカールとのオークス親子制覇を達成した。
秋は体調を崩し調整が上手くいかず、秋華賞はぶっつけ本番。
秋華賞は出走するも体調がまだ万全でなかった点と、
パドックでのフラッシュでイレ込んでしまった事もあり、10着に終わってしまう。
これ以降パドックでのフラッシュは禁止されている。
体調面を立て直し、明けた6月復帰戦のマーメイドSを快勝すると、
スーパーG2札幌記念に出走し、ジェニュインやエリモシックを相手に、
2馬身半差圧勝で波に乗り、天皇賞秋へ。
前年、3歳でこのレースを制し、
前哨戦毎日王冠も制したバブルガムフェローとの壮絶な叩き合いは有名で、
「エアーか!?バブルか!?エアーか!?バブルか!?エアーグルーヴ―!!」
という実況は今でも耳に残っている。
その後ジャパンカップ2着、有馬記念3着と
この年、華々しい結果を残し、
牝馬としてはトウメイ以来の年度代表馬となった。
6歳でも現役続行。
春初戦は大阪杯からスタートし、
1つ下の名牝メジロドーベルなどを抑えて白星スタート。
2戦目は道悪が堪えて鳴尾記念(G2)で2着。
そして臨んだ春の本番宝塚記念では、
調整遅れなどもあり異次元の逃亡者サイレンススズカの3着に終わってしまう。
その後は、牝馬ながら58kgを背負い札幌記念を連覇で飾り、
エリザベス女王杯へ。
エリザベス女王杯では大阪杯で下したメジロドーベルの3着に終わってしまう。
その後、中一週で臨んだジャパンカップでは勝ち馬エルコンドルパサーにこそ
及ばなかったものの、その年のダービー馬等を抑え2着。
女帝の力を見せつけた。
引退レースとなった有馬記念では、
落鉄などもあり5着で終わってしまったが、
それでも掲示板には載る活躍。
牡馬たちとも果敢に戦った華麗なる女帝エアグルーヴ、
この馬も伝説と呼ぶ他ないだろう。
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通称:素晴らしい絶景
生涯成績:23戦9勝
勝利G1:阪神JF、桜花賞、オークス、
ヴィクトリアマイル、天皇賞秋
ジャパンカップ
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ブエナビスタ=素晴らしい絶景
これは単なる直訳で通り名でも何でもない。
そもそも牝馬の通り名といえば、
女傑とか女王とか、そのくらいしかつかないので、
この馬には名前こそこの馬にピッタリハマると思い、書いた。
後方から上がってくる姿はまさに競馬の醍醐味とも言える素晴らしい絶景、
そしてこの馬があのスピードの中で見ていた全てが風のように見える、
その世界もまた素晴らしい絶景だっただろう。
そんなブエナビスタだが新馬戦は牡馬混じりとはいえ3着。
ただこの新馬こそ有名な新馬戦で、
のちの皐月賞馬アンライバルドとダービー2着馬リーチザクラウン、
菊花賞馬スリーロールスが一堂に会した、あの有名な新馬戦だ。
そして続く二戦目で難なく未勝利を脱した。
その年の瀬...未勝利を勝っただけの2戦1勝馬は
その世代の2歳女王決定戦の主役に躍り出たのだ。
そして結果は2歳女王戴冠、
素晴らしい能力を見せつけた。
明けて3歳ではクラシック戦線に向けて本格的に始動。
チューリップ賞を危なげなく勝つと、本番、桜花賞へ。
桜花賞ではレッドディザイアに半馬身差で勝利。
一冠目を制し桜の女王へ。
鞍上の安藤勝己が言ったように
『直線も長いし1回内で溜めても間に合うだろうと思っていた。
ただ、思ったより2着の馬が粘っていた。』と言うレースだった。
続くオークスは発表こそ良馬場ながら
水分を沢山含んだ馬場で追い込み馬には厳しいものだったが、
またしてもハナ差で差し切り樫の女王へ。
この時のレースの方が着差が少なかった分辛勝に見えたが、
鞍上の中では違ったらしく
「今日のは予定通りだったけど、
桜花賞では前が止まらずあっちの方がびっくりした」と語っている。
阪神JFの後「直線で先頭に立つと、馬が遊んでいた」と言うこともあり、
東京の長い直線で差し切ってから
遊んで差し返されないように計った勝利だったのだろう。
何にしても、
阪神JF、桜花賞、オークス、
これまでの牝馬の王道路線を全勝で3歳春を終え、
恐ろしいまでの力を見せた。
凱旋門賞は斤量の違いにより、3歳牝馬有利な事もあり、
トントン拍子で来た当馬に「凱旋門賞」の話が持ち上がるが、
前哨戦として定めた札幌記念を勝ち切れず、凱旋門賞は白紙に。
そのまま3冠路線に戻るも、
急な路線変更で急な調整や疲労等もあったのか、
レッドデザイアを捉えきれず2位入線、
そして進路妨害などもあり3着降着となってしまう。
続くエリザベス女王杯では大逃げ2頭を放っておき過ぎて、
猛追を見せるも届かず3着。
暮れの有馬記念では先行策をとるも中山巧者のドリームジャーニーに
、 差し切られ2着。
古馬戦、牝牡混合戦で強さを見せながらも勝ち切れない日々が続く。
結局、夏以降は1勝もできず、3歳を終えた。
明けて4歳この年はドバイ遠征への話が浮上し、
今回は前哨戦、京都記念を見事に勝つと、
鞍上にO.ペリエ騎手を迎えて、ドバイシーマクラシックへ。
直線見事な追い込みを見せるも2着に終わってしまう。
帰国後、復帰戦ヴィクトリアマイルに出走し、
クビ差で差し切り、オークス以来となるG1制覇で完全復活。
続く、宝塚記念では、
後の凱旋門賞2着のナカヤマフェスタには半馬身勝てなかったものの2着。
夏は使わずステップを踏まずに天皇賞秋へ。
これまで主戦を務めていた横山騎手が落馬負傷したため、
C・スミヨンに乗り替わり、初めて牝牡混合G1の天皇賞秋を勝った。
この時にC・スミヨンは自身の騎乗した凱旋門賞馬を指し
「ザルカヴァに似ている」と評し、
さらに「操縦性ならザルカヴァよりも上」と語っている。
続く、ジャパンカップでは1馬身3/4ローズキングダムを退け、
1位入線を果たすも最後の直線で急に内側に斜行し、
24分間にも及ぶ審議の結果2着に降着となってしまう。v
そして、昨年の雪辱ともいえる有馬記念では、
ヴィクトワールピサをハナ差捉えきれず2着。
レースは前半900mが55秒3というスローペースになり、
ブエナビスタ以外の上位8頭は全て9番手以内という位置にいた前残りレースで、
さらにブエナビスタを除き5着以内に入った馬は前半5番手以内の前の馬だった。
これだけ見ても相当な力を持った馬であることがうかがえる。
そして、5歳...最後の年。
ドバイワールドカップに出走し、
1着馬ヴィクトワールピサ、2着馬はトランセンドの
「1,2フィニッシュ」に沸いたレースとなったが当馬は8着。
このレースではあの脚を繰り出せなかった。
帰国後、海外遠征の疲れもあり、
ヴィクトリアマイル、宝塚記念を連続2着と勝ち切れずそのまま休養
秋は前年と同じようにステップを踏まずに天皇賞秋へ。
牝馬初の連覇を目指したが、結果4着となり、初めて国内で3着内を外した。
続くジャパンカップでは
1年以上勝ちから遠ざかっている事もあり、
国内で初めて1番人気ではなくなるが、
前年、1位入線での降着の雪辱を期して臨んだレースでは、
最後の直線で先頭に立った2着馬と競り合い、ゴール前でクビ差かわして1着。
連敗を6で止め、復活のGI、6勝目を挙げた。
引退レースとなった有馬記念では、
その年の三冠馬オルフェーヴルと対戦するも、
7着に終わってしまい新時代の幕開けと共にこの馬の幕引きとなってしまった。
実はブエナビスタは、
JRAレースの1番人気最多連続記録を持っている馬。
これだけ支持を集めている=愛されている証拠だろう。
G1を6勝もしたあの男勝りの末脚を忘れない。
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通称:ミスパーフェクト
生涯成績:12戦8勝
勝利G1:桜花賞、秋華賞、エリザベス女王杯
有馬記念
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最強スカーレット一族の最強牝馬。
この馬は12戦8勝4連対とデビューから引退まで、
12戦連続連対しJRA所属の牝馬としては最多記録となっている。
そんなダイワスカーレットのデビューは、
ちょうど半兄ダイワメジャーのマイルCSの日と重なり、
兄妹同日勝利を挙げ話題になった。
続く中京2歳Sも危なげなく勝ちきりデビュー2連勝を飾った。
明けて3歳初戦はシンザン記念から始まり、
10頭の出走馬中、ただ1頭の牝馬は、1番人気に支持された。
しかし結果は2着。
続く桜花賞トライアル、チューリップ賞は
終生のライバル・ウオッカの末脚に屈する格好で2着となるも、
迎えた桜花賞本番では早め早めの積極策でウオッカを完封し、
チューリップ賞の雪辱を果たし、自身初のG1タイトルを手にしたとともに、
兄妹クラシック制覇を成し遂げた。
ライバル・ウオッカはダービーに出走し、
オークスでは不動の本命を打たれることが予想されたが、
感冒のため回避、そのまま放牧に出されて、春のクラシックを終える。
夏を越したダイワスカーレットはたくましさを増していた。
秋本番は9月の秋華賞トライアル、ローズSで戦列に復帰。
このレースから青いメンコを着用し出走している。
レースにはオークスでハナ差2着のベッラレイアなどの出走にも注目が集まったが、
スタート直後から徐々に先頭に立つと、そのまま押し切り1着でゴール。
チカラの違いを見せ付けた。
その後本番、秋華賞。
64年ぶりの牝馬のダービー馬となったライバル、ウオッカとの三度目の対決。
道中かかり気味に2番手を追走したが、3コーナーで楽に先頭を捉えると、
そのままの勢いでこう億を1馬身1/4突き放し、勝利、牝馬2冠を手にする。
秋3戦目のエリザベス女王杯では、
前年の女王フサイチパンドラ、
2年前の勝者スイープトウショウを下し、
古馬も含めた「牝馬最強」の称号を手にした。
秋、最終戦の有馬記念。
果敢に先行したダイワスカーレットはマツリダゴッホの末脚に屈したが、
古馬の一線級の牡馬たちに混じっても2着に踏ん張り強さをアピール。
本賞金7200万円を獲得した。
この年は7戦4勝、2着3回の成績を残し、
年間に獲得した賞金総額は4億6149万4千円となり、
G1、3勝でドバイ・デューティーフリーなども勝っているアドマイヤムーンなどを抑え、
堂々の賞金総額1位となった。
牝馬の年間賞金王は、
トウメイ(1971年)
メジロラモーヌ(1986年)
マックスビューティ(1987年)
ダイイチルビー(1991年)に次ぐ5頭目の快挙だった。
明けて4歳では、
ドバイワールドカップかドバイデューティフリーへの参戦が予定された。
そのステップとしてフェブラリーステークスを予定していたものの、
調教中に走路から跳ね上がったウッドチップが右目に入り、怪我を負い、
フェブラリーステークスを回避、自動的にドバイも白紙になってしまった。
その後大阪杯からヴィクトリアマイルというローテーションを組むも、
大阪杯を勝った後、故障発生であえなく回避。春全休となる。
そして秋の初戦、
「少しでも不安があればエリザベス女王杯の選択肢もありますが、
エリザベス女王杯は昨年も勝ったレース。
限定戦の楽な選択をするより強い馬が集まるレースで強いことを証明したい」
という理由から天皇賞秋へ出走。
これがライバル、ウオッカとの後世に語り継がれる2cmを争う壮絶なレースとなる。
結果的に負けはしたものの、レコードでの走破。
ちなみに後のインタビューで語っていたが
安藤勝己騎手は映像を見ながら
「(3コーナーぐらいで)ここら辺で、今日はダメじゃないかなぁ
飛ぶんじゃないかなぁと思った」といっていたという。
壮絶で派手なレースだっただけに、良いレースだと思われがちだが、
鞍上いわく「このレースは全然ダメなレース」と語っていた。
そんなレースをしてもレコードで2着なのだから、とんだ根性娘である。
そして、引退レースとなってしまった有馬記念だが、
淀みないペースの気持ちいい逃げっぷりで快勝。
実に37年ぶりとなる牝馬の有馬記念制覇だった。
5歳も4歳と同じプランでドバイを目指すも、
浅屈腱炎を発症しそのまま引退となってしまった。
その安定感ある走りから、
ウオッカやブエナビスタらを差し置いて
「ダイワスカーレットこそ史上最強牝馬だ」という人は多い。
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通称:金色の暴君
生涯成績:21戦12勝
勝利G1:皐月賞、日本ダービー、菊花賞
有馬記念2回、宝塚記念
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「暴れん坊」
この言葉が似合いすぎる馬も珍しい。
母、オリエンタルアートは、
ディープインパクトの初年度産駒を身ごもる予定だったが、
3度に渡り受胎に失敗してしまい、
空胎を避けるため急きょステイゴールドを種付けする。
今でこそ「暴君」で知られるオルフェーヴルだが、
上記の理由から交配の遅れによる遅生まれ、
さらに開腹出産という生まれのため、その馬体は他馬に比べて小さかった。
そのため育成時は同年代の馬達に追いまわされるいじめられっ子であった。
そして、そんないじめられっ子も2歳となり新馬戦も迎える。
この頃にはもう暴君の片鱗を見せ、
レースは完璧ともいえる内容で完勝すると、ゴール後には池添騎手を振り落とし放馬。
記念撮影などは中止するという暴れん坊ぶりを発揮。
この頃のオルフェーヴルについて池江調教師は、
「当時はイレ込みが凄くて、競走馬になれないかと思った」と語っていた。
続く2戦目芙蓉Sではスローな流れの中、
4角まで引っかからず我慢し前が空いてから追い出すという、
大人な競馬を出来る力を見せつけたものの、
直線の短い中山で前を捉えきれず2着に終わる。
東京でならと1番人気に推された京王杯2歳Sでは、
ゲートの中でいななき出遅れ、
少し気合をつけると、かかるほど行ってしまい、
ちぐはぐなレースで幼さを見せ10着に終わってしまう。
成長を促すべく、今でこそ有名な、
オープン間もないノーザンファームしがらきへ放牧。
放牧中や帰厩後は自立心を養うために
集団から離れて1頭で行うなどの工夫が施され、
これが以降の翌年の大躍進に繋がることとなる。
明けて3歳でも陣営は「競馬を教える」ことに徹し、
特に折り合いをつけることに集中した。
3歳初戦のシンザン記念では、最後の直線だけの競馬で、豪脚を見せるも2着。
その後、同じようなきさらぎ賞でも同じようなレースで3着。
池添騎手は
「勝ち馬と一緒に動いてしまうと
次につながらなくなってしまうから、
この経験が春への糧となってくれれば・・・」
とコメントしながらも、もどかしい思いをしていたが、
池江調教師は鞍上の池添騎手に対し
「(勝つのは)ダービーでいいから」との言葉を掛け、
これにより池添騎手は本馬に競馬を教えることに専念できた。
いよいよクラシックの権利取りの時期がやってきて、
ステップレースをスプリングSに定める。
この年は東日本大震災の日で阪神競馬場で行われた当レース、遂に練習の成果を発揮。
道中後方待機から4角で早めに進出、全部まとめって差し切って皐月賞に駒を進める。
4番人気での出走となったクラシック1冠目の皐月賞。
東京開催の皐月賞となるが、残り400mで一気に2着以下を引き離し圧勝。
この時、池添騎手は「初めて府中の直線が短く感じた」と振り返っている。
続くダービーでは台風の影響により不良馬場での開催となり、
後ろからの競馬のオルフェーヴルを不安視する声もあったが、
レースの最後の直線では、
他の馬にぶつかられながら間を縫って抜け出すと、
2着に来たウインバリアシオンの追撃を抑え、
極悪馬場という試練も乗り越え、クラシックニ冠目を獲得した。
秋初戦、菊花賞前哨戦の「神戸新聞杯」をほぼ鞭を使わずパスすると、
菊本番3コーナーの下りで行きたがる場面を見せるも、
池添騎手がグッと抑え、坂を下り切ったところで気合いをつけ、
4角前に付けると本格的に追い出し一気に突き抜け最後は流して快勝。
それでもレコードから0.1差だった。
新馬戦同様、池添騎手が振り落とされるという珍事も起きたが、
「僕とオルフェーヴルらしい」と苦笑いを浮かべながら答えていた。
これで池添は最年少三冠ジョッキーとなり、
池江は史上初めて親子で三冠トレーナーとなった。
そしてこの年の有馬記念は、
まさに競馬の祭典ともいうべきメンバーが集まった。
3冠馬オルフェーヴル。
昨年有馬を制し、ドバイWCで日本に勇気を与えたヴィクトワールピサ。
ここでの引退表明している歴代最強牝馬の6冠女王ブエナビスタ。
その年の天皇賞馬であるトーセンジョーダンとヒルノダムール。
夏のグランプリを制したアーネストリー。
オルフェの一つ上のダービー馬エイシンフラッシュ。
昨年の天皇賞春を勝ったジャガーメイル。
そしてジャパンCを勝っているローズキングダム。
これ程のメンツは、滅多にお目にかかれない。
三冠達成後はノーザンファームしがらきへ短期放牧に出され、
菊花賞からのレース間隔を考え有馬記念を選択。
現役最強の称号獲得に並々ならぬ意欲を燃やしていた。
レースが始まると、
前半1000m 1:03.8の超スローペースを外から早めに動き、
究極の瞬発力勝負となったグランプリを上がり34.0で制覇し、
オルフェーヴル時代の到来を告げる勝利を手にした。
そして、明けて4歳の春、
秋には凱旋門賞を目標にしていたため、
あえてゆったりとしたペースの3000mの阪神大賞典を選択。
パドックや返しでだいぶ入れ込んでいる様子。
これがあの有名な阪神大賞典だが、
かかった様子で第2コーナーを曲がりきれず故障を思わせるほどの逸走、
それでも勝ち負けに持ち込むほどの巻き返しで、
精神的な弱さを見せ付けたものの
潜在的な強さをまざまざと見せ付けるレースとなった。
その後、競走馬としての再審査のため、
池添騎手が付きっきりで本馬の調教に携わり、再審査をパスし、競走馬に戻る。
池江調教師も「GIの1番人気より緊張しました」と心境を明かした。
続く天皇賞春では、
いつもの3,4コーナーでまくり気味にあがっていく仕草もなく、11着凡走。
色々な要素があっての凡走としながらも、
再審査の調教でコズミが出ていたりと、いつにない疲労もあったようだ。
凱旋門賞の一次登録は行ったものの、
次走の宝塚記念の結果と内容次第と、かなりのトーンダウン。
そんな宝塚記念だったが最終週の荒れた馬場をものともせず、
鞍上の右鞭に応え残り約150mで先頭に立つと、
追いすがるルーラーシップ以下を2馬身差抑えて勝利。
これにて凱旋門賞挑戦確定とともに5冠馬となった。
しかし、ここでデビュー以来、
常に一緒にレースに出てきた池添騎手をおろし、
凱旋門賞に優勝経験のあるC・スミヨンに乗り替わる。
前哨戦フォア賞を辛勝。
ここでオルフェーヴルの乗り難しさの一片を知るも、
池江調教師は不安なまま凱旋門賞へ。
最後の直線では外からもったままポジションを上げ、
残り300mで追われると勢いよく先頭に立ち、後続を突き放した。
しかしその後、内ラチに向かって急激に斜行して失速。
内から鞭を打って立て直しを試みるも、
盛り返してきたソレミアにゴール直前で差され、2着に終わった。
帰国後、牝馬三冠馬のジェンティルドンナと対決。
審議などもあり物議をかもすレースとなったが、ジェンティルドンナに屈してしまう。
海外遠征やジャパンカップの疲労から、年内休養と来年の現役続行が発表され、
翌年は前年、長距離の阪神大賞典を走って「リズムを崩してしまった」ことから、
中距離の大阪杯を初戦とした。
これをあっさり勝ちきると続く宝塚へ、
そう思った矢先、運動誘発性肺出血(EIPH)を発症し、宝塚記念を回避。
軽度だったため予定していたフランス遠征はそのまま行われることとなる。
一方そのころ池添は、
ロンシャン競馬場での騎乗経験不足を補い、
凱旋門賞での騎乗をもらうべくフランスへ遠征した。
しかし、非情にもこの年も、
スミヨン騎手が乗ることとなった。
前年同様フォア賞をパスすると本番凱旋門賞へ、
レースは最後の直線に向くとトレヴが一気に抜け出す。
直線に向いて進路の確保にやや手間取ったオルフェーヴルは、
アンテロと馬体を合わせてトレヴを追うが差はむしろ開いていき、
最後は5馬身差をつけられて2年連続の2着に敗れた。
トレヴは翌年も勝ち凱旋門賞連覇を成し遂げている。
そして、
帰国後有馬記念では、
8馬身ぶっちぎりで勝利。
池添は、有馬記念競走後に行われた表彰式でのインタビューで、
「僕はオルフェーヴルが世界一強いと思います」
「オルフェーヴルは今日がラストランです。
過去の名馬たちや時代を築いた馬たちと一緒で、
オルフェーヴルも今の時代を築いてきた馬です。
東日本大震災の年に三冠になって、
勇気や元気を与えることができた馬だと思います。
オルフェーヴルという、
人を魅了する力強い馬がいた事を語り継いでほしい」
とスピーチした。
まさにそのとおり、
勝ち方が強くて語り継がれる馬は多くても、
このオルフェーヴルの様に負けたレースのほうが
語り継がれるほど愛される馬はそういないだろう。
※「 + 」をクリック(タップ)することで詳細を表示できます。
収納する場合は「 ― 」をクリック(タップ)してください。
この18頭にも及ぶスターホース達。
同じレースに出走したら、
どの馬が一番速いのか?
走破タイムだけで言えば、
新しい年代の馬が優勢となるのは当たり前ですが…。
競馬は甘くない。
脚質、操作性、スピード、相性、戦略…。
それら全ての要素が合わさる事で、
はじめて競馬予想は成り立ちますが、
それはこの殿堂賞(G1)という、
ドリームレースでも例外ではありません。
どの馬が勝つのか…。
どの馬が最強なのか…。
その答えを導き出すことのできる唯一の競馬サービス、
殿堂馬の完全体
【最上位殿堂馬】の公開まで
残り数日となりました。
殿堂賞(G1)の決着。
そして、
『最上位殿堂馬』
の公開。
これ等のすべての解答が一斉に公開される
12月5日(土)17時は
絶対に目が離せません。
その瞬間は今もこうして
刻々と近付いております。
今や大反響の中心にある、
競馬の殿堂の動向にぜひ引き続き注目しておいてください!
完全競馬攻略ブログの感想やご意見、
また最上位殿堂馬や殿堂賞(G1)に関してのコメントを受け付けておりますので、
是非、お気軽にこちらからご連絡ください。
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